2012年1月15日日曜日

みつとみ俊郎のダイアリー

��たことがなかったのに恵子が入院した9月の頭から朝の連ドラを見るようになった。
朝普通に起き、朝普通に食事をしている生活の中でこういうドラマを一度見始めるとそれは簡単に習慣化してしまうという感覚を久しぶりに味わっている。
私は、このテレビという物体の得体の知れない存在感が家庭の中を支配している風景が大嫌いでテレビを家には置いていないのだが、ここは人の家なので「まあいいか」という感じだ(でも、時間帯以外にテレビを見ることはまったくないが)。
「カーネーション」という有名デザイナー三姉妹のお母さんをモデルにしたこのドラマを見ていて先日驚いたのが、主人公の父親が大火傷をするシーン。
何度の火傷なのかはわからないが(この時代に火傷の階級区分などなかったのかもしれない)相当重傷に見えるこの父親は近所の医院らしき場所で治療を受けた後(ドラマではリヤカーで運んでいったからそう遠くの病院まで行ったとは思えないが)自宅で療養することになったからだ。
あれほどの大火傷で自宅に寝て治療?と一瞬思ったが、待てよ、昔はそう言えば大病院で入院なんてことはあまりなかったなと思い出した。
病気しても近所の医者が往診に来るのが普通だったし…。
まあそう考えればこのシーンは別に何も驚くにはあたらないのかもしれないが、やはり現代に生きる我々は「病気と言えば病院」という図式で見てしまう。
おそらく今恵子が入院している患者さんのほとんども昔だったらこのドラマの父親と同じように入院などせずに自宅で療養していたに違いない人たちだ。
ただ、それで本当に治るのかどうかは病気の種類や程度によっても違うのだろうが、おそらく結果その後の人生を不遇のまま過ごさざるをえなかった人も多かったに違いない。
幸い、今の医学や世の中の意識は治療、リハビリ、再生、復帰ということにとても貪欲だ。
そんな簡単に死んでたまるか、ということなのかもしれない。
でも、人の意識というのは本当にいろいろだ。
同じリハビリ治療を続けている患者さんたちにもかなりの違いがあるなといつも感じる。
病院には、いわゆる「良い患者」と「悪い患者」がいる。
これは事実だろう。
でも、これは病院にとって(都合の)良い患者、悪い患者というような意味ではない。
単に、ルールを守る患者さんとそれを無視する患者さんの違いということだ。
ドラマの中の火傷のお父さんは家で治療しているのだから守るべきルールは医者から言われたことを守れるかどうかぐらい。
しかし病院の中は大勢の患者さんが一緒に暮らす一つの「社会」なのだから、自分勝手が許されない部分もたくさんある。
さっきも恵子から携帯メールがあった。
「前のワカランチンおばさんがまた勝手にトイレに行ってしまった。看護士さんが困ってしまうゾ」。
恵子もこのリハビリ病院に移って来た当初は車椅子での移動が極端に制限されていた。
トイレに行くのもままならなかった頃だったからベッドから自力で車椅子に乗り移るのさえ看護士の立ち会いの元で、という制限がついていた。
もちろん、そういった制限は回復につれてどんどんなくなっていくのだが、現在恵子は車椅子での移動はいつでも自由だし、もうすぐ杖での歩行も療法士や看護士の立ち会いがなくてもできるような状態にまで行くと期待している(まだ、杖の歩行はそれほど上手ではないが)。
この件の同室の患者さん(ワカランチンおばさん)は、病院のルールを無視するだけではなく、社交がまったくゼロで誰ともことばを交わそうとはしない(家族の方と話をしているところを見たことはあるが)。
今日も病室に見舞いに訪れた際「こんにちは」と挨拶をしたがまったくの無言でシカトされてしまった(まあ、いつものことだから気にはならないが)。
でも、同室の患者である恵子や他の方たちはけっこう迷惑しているのでは?と想像してしまう(様子は先ほどのように恵子がメールしてくるのでよくわかるのだが)。
男性の患者さんの部屋でも同じような問題がきっとあるに違いない。
でも、男性の場合はもうちょっと勝手が違うのかナ?とも思う。
いつもナースステーションの目の前に陣取って一日中どなり散らしているオジサンはご自分の部屋の中ではどんな様子なのだろう?(本当に一日中何かに誰かに怒鳴っている人なのだ)
ちょっと興味がある。

Related Posts



0 コメント:

コメントを投稿