ドイツでマルチリンガルを育てる - 楽天ブログ(Blog)
今日は、恵子たちの学校は、オープン・デーだった。
恵子は、数学と技術のクラブの紹介をする役割だったようだ。
思い返せば、去年、日本から帰国して、時差ぼけのまま、知能テストを受け、オープンデーに参加するようにとの電話をもらい、家族そろって見学に行ったっけ。あれから、丸々1年がたつのだなー。今度は、学校紹介する側になるなんて、なんかしみじみとしてくる。でも、歯痛のため、たぶん部屋で寝て過ごしたのではないかと思う。
昨日の夜、恵子と少しスカイプをしたとき、歯を抜いたあとが少し腫れているということは聞いていた。でも、来週の金曜日は、スポンサー企業訪問で、歯医者に行っている時間がないので、歯医者の予約は3週間後になるが、それでもいいか?と聞いたら、大丈夫、と言われた。だから、今朝電話をもらって医者に見せないといけないほどひどいとは思っていなかった。
昨日、恵子とスカイプ をはじめたとき、ちょうど夫が帰宅した。「今、パパが帰ってきたよ。」といったら、「いいなー、私も帰りたい。」と言った。いつも、家に帰ってくるたびに、「やっぱり家が一番」という。そんなに学校がつらいのかな?とたまに不憫になる。お友達もできたし、学校の雰囲気も良くて、転校してよかった、と思っているようだけど、やっぱりまだ14歳。寮生活というのは、精神的にきついのかもしれない。あと、授業が難しい、というのも大変みたいだ。1学期目の恵子の成績は、ものすごく良かった。でも、それは、恵子が、今まで以上に努力をしたからなのだろう。毎日、テストや宿題に追われている生活のようだ。授業だけではなく、クラブ活動にもたくさん参加しているので、目一杯らしい。
再来週は、ボンで行われる数 学のワークショップにも参加する。恵子の学校から参加する生徒は8人。ワークショップは、金曜日から日曜日の3日間だが、恵子たちは木曜日の朝、学校を出て、電車でボンに向い、その日は、マックス・プランクの数学研究所と数学の博物館を訪問する予定。LGHでは、このようなプログラムがたくさんある。みんなが参加できるわけではないが、そういう機会に恵まれ、やっぱり、恵子にとって、転校したことは、人生のプラスになると確信している。
余談だが、この数学のワークショップで、ボンまで引率してくれるのは、数学の先生二人。実は、この二人は夫婦で、ともにウクライナの出身だそうだ。いつも、「この世でもっとも重要なものが3つあります。それは、数学、物理、そしてロシア語です。でも、実は、あとの二つ� ��それほど重要ではないんです。」と言うそうだ。本当に数学を愛している先生で、「数学を嫌いだって言ったら、先生が泣いちゃうかもしれないし、数学のコンクールに出場しなかったら、先生が悲しむと思う。・・」と恵子も、冗談とも本気とも取れることを言う。でも、「数学は楽しいんだよ。」というスタンスで授業をしてくれる先生って、すごくいいと思う。
まずは、Sの発音のおさらいで、Sのつく単語がたくさん入っている文章を復唱させたそうだ。問題なくできた、とのこと。ここ3回ほど、いつもこの話を聞く。なんで、今だに「s」にこだわるのかわからないなーと思いながら先生の話を聞いた。
その後は、お店屋さんごっこをしながら、理解力のテスト。先生が、「りんごをください」とか「「バナナをください」というと、直ぐに反応できたらしいが、「レモン」とか「豆」がわからなかったらしい。レモンぐらいは、ドイツ語でも知っているはずなんだけどなー。定着していないのだろうか?
最後は、記憶力を養う練習。先生が太鼓を叩くのを聞いて、まねをする。同じリズムではなく、たとえば、タンタンタタタタターンターン というよ うに、長さの違いをよく聞いて、まねをしなくてはいけない。複雑になってくると、まったくできなかったそうで、家で練習してください、と言われた。
そして最後に、「恵というのは、お兄さんですか? お姉さんですか?」と聞かれた。「姉です」というと、「私もそう思ったのですが、ニコは、お兄さんと言い張るので・・・。もしかして、質問を理解していなかったのかもしれません。」と言われた。実は、このやり取りは、待合室で待っている私にも聞こえてきた。先生が、「お姉さんの名前は?」と何度も聞いていた。でも、ニコチャンは黙ったまま。返事をしたくないのか、できないのか、判断つきかねる。たぶん、兄弟、姉妹の単語が定着していなかったのだろう。・・・・
Sternsinger | [ ドイツ・ドイツ語・ドイツ人 ] |
これは、カソリック系の祝日なので、プロテスタントの強い北ドイツでは、祝日ではなく、子供たちが各戸を訪問して歌って寄付を集める習慣もないそうだ。
恵子と賢浩は、「Sternsinger」として、1月2日、5日、6日の3日間、このボランティア活動に参加した。通常は、東方の三賢者に扮した子供3人と付き添いの大人の4人ひとチームで、割り振られた地域を回る。今年は17グループで、わが町を隅々までまわった。17グループのうち、3グループは子供が4人だったそうだ。それなら18グループ作ればいいと思うのだが、付き添いしてくれる大人の数が足りなく、恵子たちのグループは、大人なしで、子供3人でまわった と言っていた。
子供の役割は、歌うことと寄付をお願いすること。付き添いの大人の役割は、訪問した家のドアに「2 0*C+M+B+12」とチョークで書くこと、留守だった場合は、郵便受けに寄付のお願いと振込用紙を投函すること、そして、どの家を回るか、リストをチェックしていくこと。
恵子たちのグループは、14歳、13歳、12歳の女の子たちのグループで、恵子をのぞく二人は、家族ぐるみで教会活動に深くかかわっているので、大人なしでも大丈夫と判断されたのだろう。でも、「あれ、子供だけなの?」と質問されたこともあったらしい。
二人とも、毎回、ものすごい数のお菓子をもらって帰ってきた。ドイツ人でも、北ドイツから引っ越してきた人は、この「Strensinger」の習慣をしらないから、仮装している子供を見て、ハロウィンと勘違いして、お菓子だけをくれた人もいた、と言っていた。でも、メインは、寄付を募ること。今 年は、「マリ」の協会の慈善団体に寄付するのが目的。明らかに、居留守を使う人もかなりいるらしい。まあ、私も、このStrensingerには、何の思い入れもないので、1年に約10件ぐらい、いろいろな団体、寄付をお願いしますとうちに来るのだけど、そのひとつに過ぎない。Sternsingerについては、自分や近所の子供たちが関与しているから積極的にドアを開け、寄付をしてお菓子をあげる、ということをしているまで。居留守を使う人の気持ちもわからないではない。賢浩が、「いるのに、ドアを開けない。」「50セントしか寄付しない人がいた。」とか、文句を言ったので、「寄付は、強制するものじゃないから。たとえ1セントでも、寄付する義務はないのだから、寄付してくれたら、ありがたいと思わなくてはダメだよ。」とたしなめた。 昨日は、気前よく50ユーロを寄付してくれたおじいさんがいたそうだ。その人は、「うちにお菓子がないから、これでみんなで買いなさい」と賢浩たち4人に20ユーロをくれたので、4人で5ユーロづつわけたらしい。
昨日もおとといも雪やみぞれで、寒いかった。特におとといは、ものすごい吹雪で、こんななか外に出るのは、かわいそうに思った。子供たちは足元がビシャビシャに濡れ手いる状態で家に帰ってきた。しかも、かえって来る時間が遅い、恵子は、初日は9時過ぎ、そのほかの日でもいつも8時過ぎ。外周りが終わった後、教会の集会所で着替え、顔のドーランを落とし、少し軽食を食べたりできるのだそうだ。だから、実際には、9時まで募金活動をしているわけではないが、それでも、6時ぐらいまでには終わるべきではな� ��かと思った。確かに、お菓子はたくさんもらえるけど、大きい子には魅力あるボランティアとは思わない。恵子たちのグループは、年齢的に上から2番目のグループだったらしく、恵子以外の子は、親が教会活動に深くかかわっている人たち。教会に関係なかったら、あえてやりたいとは思わないのではないかと思う。でも、恵子は、最初は嫌がっていたのに、「来年も頼まれたら、やってもいいと思っている。」と言った。
とにかく、今我が家はお菓子であふれている。ニコチャンは、「僕も、Strensingerやりたい!」と今から言っている。こんなにお菓子が目の前にあるのに、ニコちゃんは、まだ食べられる状態にはない。ニコチャンの口臭がすさまじい。手術の傷跡がいえていないから、仕方ないらしいが、すごく気になる。いつ� ��なったら、元に戻るのだろうか?
朝6時50分に病棟に来て下さいといわれた。
時間通りに行くと、私たちともう一組親子がいた。まず、部屋に案内された。通常は3人部屋にベットを4ついれ、2つづつベットをくっつけ、手前側が私たち、窓側がもう一組の親子用、そのほか、机と椅子、テレビ、トイレにはシャワーもついていた。
昨日は、何人の子供が手術したのかわからないが、ニコチャンがトップバッターだった。まず、両手の甲にシールのようなものを張られた。その次に手術服に着替えるように指示された。それから、4mlか5ml程度のシロップを投与された。一緒にベットに寝転がって本を読んでいたのだけど、私がちょっとトイレに行っている間に、ニコチャンはベットから落ちてしまった。いつの間にか自分で立つこともできない状態になっていた。幻覚症状があらわれ、何もない空に手を出し、何かを一生懸命つかもうとしていた。まるで催眠術にかかったかのようで、恐ろしいと思った。
ベットごと手術室に運ばれた。その手前の部屋で、私は外に出された。手術は30分ほどで終わるといわれた。
時間を見計らい、指示された場所で待っていると、こちらに来て下さい、と呼び出された。
ニコチャンは、すでに手術が終わり、手の甲には点滴のチューブがつけられ、耳にはクリップで心拍数を計る器具がつけられていた。麻酔で寝ている状態かと思っていたのだが、ニコチャンは大声で泣いていた。
鼻や口から血が飛んで、血まみれの顔だった。ニコチャンは、しきりに、のどが痛いと訴え、口の中に指を突っ込もうとする。それに、点滴のチューブを引きちぎろうとするし、起き上がろうとするし、とにかく、すごく暴れた。
看護婦さんは、点滴のチューブから痛み止めをニコチャンに投与した。でも、ほとんど効き目がなく、量を増やし、3回ぐらい投与した。
「どの子もみんな泣きます。子供はみんな同じです。心配ないですよ。」と看護婦さんは何度も私に言った。
しばらくして、ニコチャンと同室になる男の子が手術を終え、ニコチャンの横に運ばれてきた。その男の子も4歳とのこと。しばらくは、麻酔で寝ていたが、その男の子は、目を覚ましたあとも、落ち着いていて、泣くこともなかったし、痛みを訴えることもしなかった。同じ手術をして、こんなに結果が違うのかとびっくりしていたら、先ほどの看護婦さんが、「子供は一人ひとり違います。痛みで泣き叫ぶ子もいれば、あまり痛みを感じない子もいます。」と言ったので、「えっ、さっきのせりふは何だったの?」と突っ込みたくなった。
部屋に戻ってからも、ニコチャンとその男の子は対照的だった。
男の子のママは、用意周到で、パズルとか、ゲームとか、塗り絵とか、いろいろな遊び道具を持ってきており、男の子と一緒に遊んだり、一人でテレビを見させたり、「本当に、この子、今日、手術したの?」と言う感じだった。
一方ニコちゃんは、痛みのため泣き叫び、薬を投与されると、そのまま数時間眠る・・・という繰り返し。鼻腔やのどが手術の傷あとのため、腫れており、それゆえ、鼻呼吸ができず、寝るときは、口を開けたまま、ものすごいいびきだった。隣の子はお昼寝も一切せず、夜は8時ごろ寝ついたが、いびきは一切聞こえてこなかった。
私は、することもなく、本当に、「3食昼寝付き」の生活だった。
昨日は、朝食も出たが、家で食べていったので、ほとんど手をつけなかった。
昼食は、グーラッシュにジャガイモの付け合せ、スープ、チョコプリンだった。にこちゃんは、まだ食べられる状態ではなかったが、チョコプリンを食べたがったので、とっといてあげて、夕方に許可が出たので、食べさせた。
夕飯は、あまりの質素さに笑ってしまったほど。ハムが3切れ、チーズ一切れ、パン2切れ、ピクルス半分とハーブティー。薄いパンに皿の上のものを全部挟んでサンドイッチにしたのだけど、にこちゃんが食べたがって困った。私が食べている横で、「あーん」と大きな口を開いている。でも、あげるわけにはいかない。看護婦さんに頼んで、アイスクリーム1個(50ml程度の小さいカップ)を食べさせた。のどは痛いのだけど、昨日の夕飯以後、何も食べていないので、おなかは相当すいているようで、もっとアイスを食べたがったが、急にたくさん食べるのは良くないので、もう少し後にするように看護婦さんに言われた。
結局 1泊2日の入院中に、にこちゃんが食べたのは、小さいアイス2カップ、プリン2カップだけ。
夜は、2時間ごとに首に巻く「アイスノン」を取り替えるため、看護婦さんが部屋に入ってきた。そのたびに、起きてしまうので、私もにこちゃんも良く眠れなかった。明け方、にこちゃんは熱を出し、薬を投与された。
9時ごろ退院し、そのまま地元耳鼻科で検査をうけた。息がかなりくさいのと、いびきがものすごい大きいのが気になるのだが、そういうものだといわれた。まだ傷がいえていないので仕方ないそうだ。にこちゃんは、当面、おかゆ状のものしか食べられない。果物は酸がのどを刺激するので食べさせてはいけないといわれた。
恵子と賢浩が Sternsingerのボランティアでもらってきたお菓子がうちにはたくさんあるのだけど、にこちゃんは全然食べられない。かわいそうに・・・
そうそう、昨日、朝、時間通りに病棟に行ったら、賢浩のクラスメートのお母さんが看護婦さんとしてそこで働いていたのでびっくりした。にこちゃんの幼稚園の先生も賢浩のクラスメートのお母さんだし、いつもいく店でも、子供のクラスメートのお母さんが働いているし、狭い社会なのだなーとつくづく思った。
にこちゃんは、今、ソファーの上で、盛大にいびきをかいて寝ている。昨日は、ずーっと、「家に帰りたい。」と愚図っていた。病院にいると、何でもしてもらえるし、私は家事をする必要もないし、楽だけど、やっぱり我が家が一番いい。それは、ニコチャンも 同じ気持ちなのだろう。
鼻茸の切除と扁桃腺を小さくする手術をする。全身麻酔になるそうで、病院で1泊してくださいと言われた。
今日は、病院で手続きをしてきた。地元の耳鼻科開業医が毎週火曜日の午前中に地元の病院で手術をしている。手続きに行ったら、同じような患者さん、それも子供ばかりが5人もいた。もしかしたら、もっといたかもしれないけど・・。みんな、明日、同じ先生に手術してもらう子達。
まずは、受付。手続きの際、保険カードを提示するのだけど、「追加で私的な保険にも入っていますか?」と聞かれた。私たちは、公的保険だけだけど、プライベート保険などに入ってるいる場合は、個室とか、優遇があるのだと思う。私も付き添いで1泊するのだけど、就学前の子供の場合、同伴する親の宿泊費用(?)も保険で払われるので、自費で払うものは何もない、と説明された。
次に、入院病棟の看護婦さんと面談。体重と身長を聞 かれた。最近はかってないので、たぶん110cmで20kgぐらいだと思う、と言ったら、じゃあ計りましょう、といって、簡単に測定してくれた。大体私の予想はあっていた。
明日は、朝の6時50分にここに来て下さい、と言われた。そんなに朝早いとは思っていなかったので、びっくり。子供向けの入院に関する絵本をもらった。家で読んであげてくださいといわれた。そのほか、手術室には、ぬいぐるみも持って入れるので、お気に入りのものを忘れずに持ってきてくださいね、と言われた。そのほか、血圧を測った。
最後に、麻酔医との面談。
小さい子供の場合、マスクで麻酔をすわせ、眠らせた状態にしてから、血管に管をつけて麻酔を点滴するとインターネットで読んだので、ニコチャンもきっとそうかな?と思ったら、違っていた。まず、2時間ほどの記憶を消すジュースを飲ませる。その後、手の甲を消毒し、管を挿入し、点滴装置をつける、と言われた。
ニコちゃんの場合、特に、生まれて最初の手術なので、のちのちに、「手術は怖い」という恐怖心を植えつけないよう、麻酔や手術の記憶を消すのだそうだ。
えー、そんな話、初めて聞いた、そんなこと可能なの? と思ったが、今は、特に子供の場合、それが主流のやり方のようだ。
看護婦さんも、麻酔医もすごく子供の扱いに慣れているなーと思った。
地元の病院は、総合病院 ではなく、かなり小さい。私が今日、出会った患者さんは、みんなお年寄りだった。でも、地元の耳鼻科医が週に1回手術をしており、子供の患者も多いのだろう。賢浩のクラスメートも、ここで扁桃腺切除の手術をしたそうだ。そのとき、のどを冷やすため(?)にアイスが食べ放題だったらしく、「えー、ニコチャンも扁桃腺の手術するの?いいなー。アイスがたくさん食べられて・・。僕の友達なんて、おかわり自由だから、5個も食べたんだって。いいなー、僕も手術したいなー。」としきりにうらやましがっていた。ほんとにバカな子だなー。
明日は、私は、朝早く家を出て、その翌日の朝まで帰ってこない。夫は、明日は仕事で1日留守。大学でロボット工学の講義をするのだけど、恵子は講義 を聞く、というので、一緒に連れて行くことにした。問題は賢浩。Sternsingerというボランティア活動をしているので、それが終わったら、病院に来て、夫が戻ってくるのを待ったらどうか、と思っていたが、病院に相談したら、兄弟を連れてくるのは歓迎しない、と言われてしまった。夫が帰ってくるのは、たぶん夜9時ごろ。Sternsingerの仕事が終わるのはたぶん午後6時ごろ。一人で3時間ぐらい過ごせるとは思うが、やっぱり心配。それに、でも、前後3時間づつ、計6時間も家に一人にさせると、ずーっとテレビを見ているに決まっている。こういうときに、親戚が近くにいないのは、本当にハンデだと思う。
追記・現在午後8時45分。Sternsingerに行っている恵子は、まだ帰ってこない。賢浩が帰ってきたのは午後7時ごろだっ た。午後2時45分集合だった。ボランティアの子供をこんなに遅くまで拘束しているのはおかしいと思う。
今日は、お客さんが来るので、昨日は買出しとか料理とかで忙しかった。
大体の準備を終え、夕飯も簡単に済ませたところで、夫が急に、「0時に近所のXXさんたちに来てもらって一緒に祝おうか?」と言い出した。去年、私と子供たちが日本に帰省している間、そのご近所さんは、夫を新年に切り替わる0時に招待してくれたそうなのだ。
1年前、ご近所さんは、一人でいる夫を不憫に思って、クリスマスに食事に招待してくれたので、夫は大晦日に家に招き返して、男の手料理を振舞ったそうだ。それで、ご近所さんと一緒に花火をして新年を迎えた・・・と言う話は聞いていたが、てっきり、我が家に夕飯に来てもらい、そのまま深夜まで一緒に過ごしたのかと思っていた。ご近所さんには、ニコチャンと同い年の男の子がいる。ご近所さんは、とても厳格なお家で、子供は8時までに寝かせる習慣をつけている。それで、夕飯後、いったん家に帰り、「0時少し前に、我が家来て下さい、一緒に新年を迎えましょう。」と言ってくれたのだそうだ。
だから、夫は、今年は、我が家に来てもらい、一緒に新年を迎えたいと思ったらしい。しかし、すでに、夜の8時半。 夫は、ご近所さんの家に誘いに行ったら、すでに、ニコチャンと同じ年のヨハネス君は寝てしまっていたが、お兄ちゃん二人と一緒に来ます、と言ってくれたそうだ。
9時時点で、外からは、すでに、あちこちから花火の音が聞こえてきた。ニコチャンも花火がしたくてたまらない。でも、まさか、お客さんが来るとは思っていなかったので、それほどたくさんは花火を用意しなかった。だから、お客さんが来るまで待ちなさい、と言って、テレビを見ながらすごしているうちにニコチャンは寝てしまった。
11時45分ごろに、ご近所さんが子供用のアルコールのはいっていないシャンパンを持ってきてくれた。ニコチャンを起こし、早速花火大会。0時近くになると、いっせいにあちこちから花火が上がり、ものすごい光と爆音。ニコチャンは、あれほど、花火をやりたがっていたのに、怖がってしまって、外に出るのを拒否。ニコチャンには、ミサイルが発射されているかのようにみえたのかも しれない。
今回用意したのは、賢浩の趣味で、打ち上げ系の花火ばかりだった。小さい子が手に持って楽しめるようなものがなかったのは失敗だった。ニコチャンは、結局、家の中から眺めるだけだったけど、それでも、十分楽しめた(少なくとも、私は十分堪能した)。
今日は、お昼過ぎに友人家族が来てくれた。恵子と同じ年の息子さんが一人いらっしゃる。息子さんは、2年前からハイデルベルグ近郊の私立の全寮制のギムナジウムに通っている。週末はすることがないそうで、毎週自宅に戻ってくるらしい。3年ぶりぐらいにあったのだけど、ものすごく背が伸びていてびっくり。町で会っても、わからなかったかもしれないぐらいの変貌振りだった。昔は、すごくやんちゃだったのに、すっかり落ち着いていた。その学校は、一クラス 7-8人らしい。さすが私立。
話を聞いていると、彼らの息子さんと、賢浩の共通点が多い事に気づく。友人は、「私の努力がなかったら、息子はギムナジウムにはいけなかったと思う。バカではないのだけど、勉強しない子だから。」と言った。注意散漫で、テストがあるといわれても、勉強しないし、悪い点をとっても、悪びれない・・・なんだか、賢浩の話を聞いているようだった。男の子って、こういうタイプが多いのかもね。
友人夫婦は犬を連れてきた。ニコチャンより、若干大きい犬だった。私たちが食事中、テーブルの下におとなしく座っていたのだけど、ニコチャンは興味深々で、自分もテーブルの下にもぐって、犬にかまおうとする。犬が逃げると、ニコチャンも四つんばいで追いかける。まるで犬が二匹い� �ようだった。犬は、かわいいけど、我が家にはニコチャンがいるから、これ以上ペットはいらないなーと思った。
友人は、ブレーメン出身で、明日、車で帰省するそうだ。犬には長すぎるドライブになるので、ペット用ペンションに預けるとのこと。
お客さんを招待するのは、料理をしたり掃除をしたり、気を遣うことが多いので、気が重いのだけど、来てもらった後は、楽しかったなーといつも思う。私はあまり社交的ではないので、人を自分から誘うことはほとんどない。でも、夫が、そういうことが好きで、すぐに人を呼びたがる。そのたびに、私は、「時間がない」とか言い訳を並べるのだけど、今年はもっと社交的になろう、と新年に思った。
今年は今のところ例年に比べ雪が少ないが、寒いことは寒い。
クリスマス明けの27日、恵子を親知らずを抜いたあとの抜歯をするために10時ごろ歯医者に連れて行ったが、ガレージの外に止めていた車の窓は霜で覆われていた。
その翌日は、恵子はお友達の家でお泊り。旧クラスメートが1月から半年、アメリカに留学するので、そのお別れパーティーだった。そのクラスメートは、オーケストラでも一緒で、恵子と一緒に2週間中国に行ったし、フランスへ2週間の交換留学にも参加していた。
でも、この子が特別というわけではなく、恵子の話を聞いていると、結構海外に短期留学している子も多い。そもそも、スペイン語学習者ならスペインへ、フランス語学習者ならフランスへと、たぶん、各学校ごとに提携学校があり、希望者は誰でも参加できるようになっている(少なくとも、恵子が通ったことのあるギムナジウムは二つともそうだ)。私が中学、高校のときは、「留学」なんて特別な子がするものだと思っていた。私が通っていたのは、かなりの進学校であったけど、留学した子なんて、クラスに誰もいなかった。今は、日本の学校でも、海外に行くことがもっと身近なことになっているのかもしれないが、恵子の話を聞いていると、私の高校時代とずいぶん違うなーと思うことが多い。
今日は、賢浩が、2月4日 のJugend Musiziert という音楽のコンクール(?)の稽古に出かけていった。そういうわけで、我が家は、誰かしらが何らかの予定があり、休みなんだけど、家族そろってどこかに出かける、ということにならない。
1月にはいると、恵子と賢浩が、Sternsinger といって、東方の3賢者に扮し、各家を回り、歌を歌い、寄付を募る、という行事に参加する。うちは、カソリック教会とは日ごろ何の接点もないが、近所に教会の幹部(?)の人がいて、いつの間にか、やることになっていた。子供たちは、寄付金とは別に、お菓子をもらえたりするので、賢浩は喜んでいるが、恵子は、「なぜ、私がしないといけないの? それも、知らない子達と一緒に・・」と嫌がっていた。嫌なら自分で断りに行って来い、と伝え、恵子は断りに行ったのだけど、断りきれなかったようだ。
1月2日から、恵子と賢浩は、4日間も教会の行事に参加するし、3日はニコチャンの手術。そういうわけで、唯一家族みんながそろう1日に、友人家族を我が家に招待した� ��
12月31日は、ニューイヤーの合図とともに、花火をする予定で、昨日花火を買出しに行ってきた。夜更かしする予定なのに、元旦の昼ごはんに人を招待するのはどうかと思うが、夫が勝手に決めてしまった。料理するのは私なのに・・・。
昨日から、いっせいに、どの店でも、ニューイヤー用の花火を売り出した。
でも、最近、毎晩、どこかで花火の音が聞こえている。
そうそう、休みに入って、賢浩のかばんの中を見てみたら、なんと6段階評価(1が一番いい)で「5」という成績が書かれたレポートがでてきた。今まで、「4」は見たことがあったが、「5」は初めて。衝撃的だった。それも、私に見せずに、黙っているところがずるい。それは、歴史のレポートで、古代エジプト文明について書かれたものだが、賢浩のは、すべてインターネットの情報をコピーアンドペースト。それも、一部を抜粋してコピーしているが、よく内容を読んでいないので、抜粋が中途半端で、「宿題を理解していない、しかも、所々情報が間違っている」とかかれていた。
そして、休み明けに、すぐに歴史のテストがある。テストでよほど頑張らない� �、成績は「4」すらも危ない。勉強するようにお尻を叩いているのだけど、毎日、ベイブレードのことしか頭にない。冬休みに入り、ベイブレードを全部返してあげたのだけど、レポートが「5」だったと知っていたら、返さなかったのに・・・・。
恵子は、すでに休み前に成績表をもらったが、一番悪い成績でも、「2-」だった。「4」や「5」はもちろん、「3」すらない。結局、恵子のような子供は、どんな学校に行っても、悪い成績をとることはないんだろうなー。
今日の、夕飯時、恵子が、賢浩に、来年の目標を聞いていた。「えー、わかんないよ」と賢浩が答えた。恵子は、「私は、もっと成績をよくするよう頑張りたい。」と言った。そして、賢浩に、「たとえば、成績を良くしたい、とか、Jugend Musiziertで頑張りたいとか、いろいろあるでしょ。」とヒントを出した。賢浩は、「もっと、Pfand Flasche(返却するとディポジットが返金される空き瓶)を見つけたい。あと、もっとベイブレードがほしい。」と言った。
新しい年になっても、賢浩が心を入れ替えることはないんだろうなー。 残念。
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